シリコンバレーの銀行の破綻からみる、レガシー銀行経営の厳しさ

今回、米国で行われた国債などの適格資産を担保とするFRBの融資は、別に新しい手法ではない。日本では、かつての金融危機で、事実上無担保かつ無条件の日銀特融を行なったこともある(法政大学、小黒一正教授)。国債は本来将来満期まで持っていれば通貨建てでのリスクはない。預金の著しい引き出しなどによって、現金化が必要で、資産側とのバランスをとるために期日の先の資産を満期まで持てないてない場合に、現金化しようとしてもできない、あるいは非常に安値で簿価割れで損失を確定して手放さなければいけないリスクがある。それはどの債券でも貸付金でも他の期日のある証券でも同じだ。もっと言えば、不動産は証券化されて市場でトレードされていない限り、常にそうだし、逆に証券化されて市場で取引されていれば価格が下がっている場合も上がっている場合も日々更新されていて、潜在リスクも意識されやすい。 

FRBが、選択的に融資すると言う状況は不公平ではあるものの、小さな銀行を救う大義があるかと考えると、本来ならば預金者がより大きな銀行に預け変えれば良いものでもあり、それをあえて小さな銀行を救う方が不公平だと言う意見の方が自然かもしれない。銀行系金融はそもそも大手が有利なのは明らかで、日本で見ても、インターネット銀行のように店舗をもたずに、固定費が安くかつスケーラブルな銀行でなければ、レガシーの業態では小が大に勝つのは、水がより高い位置にある盆に流れ戻る程、著しく難しい業界だと思う。

貸し出しも競争がある中、与信に対する金利が適性に落ち着くのが自然で、特に資産が分散して様々なアカウントに貸し出される場合については、ラッキーに良い貸し出し先を継続できる確率は非常に低くなる。加えて、情報差は、大規模に運営している銀行の方がほぼどの側面でも有利で、特にグローバルに運営している銀行のもつ情報と、ローカルに運営する銀行のもつ情報の差は歴然としてあり、今回のように、パンデミック、戦時、サンクション、貿易規制、各国の金利操作、などのグローバルなイベントによる先読み力は、グローバル銀行の方のエグゼクティブの方があると考えるのが自然だろう。

局所的に、ある地域で金や石油が湧き出たとか言う場合には、その地域のローカル銀行が有利な面もあるかもしれないが、しばらくすると、グローバル銀行が有利な利率で巻き取りに攻めてくると、その小規模ローカル銀行の競争力が維持される理由もない。間接金融とはそのように厳しい競争に晒されている。

日本では、メガバンクに統合されていて、地方の銀行は多くが赤字で、改善策は特に有効なものは見えず、逆に米国のように小さな銀行への優遇策もなく、金利の上昇もまだない中で、問題は著しく深刻化はしていないが、継続して顕在化したままである。

今回、シリコンバレー銀行の破綻は、大口の預金者が引き出したことが発端のようだが、銀行というビジネスは、コンプライアンスをクリアすれば、財務諸表でいう貸借対照表の左と右の期日(デュレーション)を揃えるのが運営上の安全の肝だが、大口預金者が、銀行システムへの配慮なく、システミックリスクの引き金を引くことに、後ろめたさがいない場合は、預金の引き出しリスクを留める術はなく、本来は、非常にリスクの大きいビジネスなのだ。それに比べると、不動産の方が安全で、特に証券化してある場合は、価格は一時的に下がるかもしれないが、しばらくすると想定どおりのコンセンサスレンジに落ち着く。銀行が本来抱えているリスクに比べれば、大したリスクではないと言えるだろう。加えて利回りも銀行預金利率より良いなら、こちらに入れた方が安全で、有利ではないかと思う。ただし、資産価値が、証券の発行通貨建てで上昇する状況でなければいけないが。

空室リスクや、地震や戦争などによる破損、倒壊リスクなどが現状はあるが、少なくとも、不動産と土地の担保がある方が、将来の税収だけを頼りにした法定通貨の、法定通貨建ての債券よりも、価値や効用が残るではないかとも言える。

とはいえ、日本は歴史上、戦後の一時期の農地など以外にはあまり経験していないが、戦争などによる所有権の形骸化などがおこると、不動産は微妙になる。そして、それを守るのが、本来国の国防の役割かと。アダムスミスも国富論の最後の方の章にそう書いている。土地の権利を守るものは、昔、王であり、今は市民政府であり、その先のインターネット・AI時代には、その役は、AIでも改竄できないブロックチェーン登記簿かもしれないが。

国際公認投資アナリスト、日本証券アナリスト協会検定会員 亀田 勇人